今日は、朝から実家の庭の草むしりに行ってきました。
庭だけではなく、最近行けるときには、実家の室内やガレージを片付けています。(だから、今月は動画をあまり撮っていない)
昨年は車を処分しましたし、大きなものはあまり残っていないのですが、細々(こまごま)したものはまだ昔のまま。
大きなものは数年かけて処分を進めてきましたが、その気になればいつでも捨てられるサイズのものはなんとなく残ってしまって、しかも、そういう細々したものにこそ小さな思い出やエピソードが隠れていたりして。
どれをとっても、どうしても捨てられない!というほどの思い入れはないのですが、「(捨てるのは)また今度でいいか」をくり返しています。
実家の庭の隅にある物置の中には、昔、母が使っていたガーデニング用品が残っています。
母はとにかく花や植物が好きで、暇を見つけては庭に出て、どこになんの花を植えるとか、あれをこっちに植え替えたいとか、年柄年中そんな話ばかりしていました。
庭に対する母の熱意?執着?は並々ならぬもので、以前も話したことがありますが、「庭に毛虫が落ちるから」という理由で、私が生まれた年に植えられた桜の木を切り倒したほどです。
そんな母は草むしりが嫌いで、でもやらずにはいられなくて、毎回ブツクサ言いながら変な色のウィンドブレーカーを着込み、庭を乱す憎き雑草の討伐に出ていきました。
実家に住んでいたころは、タイミングが合えば私も手伝いを申し出ましたが、なにをするにも器用な母とは違って、私が触ったエリアは草を引き抜いた跡が汚くてボコボコ。
「手伝ってくれてありがとう」と言う母は、あとからこっそりボコボコの土を整えるのでした。
私は母に似ず、どちらかといえば植物が苦手です。
動物は大好きですが、植物はすこしこわいです。
でも、草むしりは好き。
未だに母と同じようにはできませんが、昔に比べると手際よく、それなりにキレイに、雑草を始末できるようになったと思います。
もともと単調な作業が好きなので、足腰にはきますが、毎回楽しく草むしりに興じています。
実家の草をむしるときには、物置に置きっぱなしになっている、変な色のウィンドブレーカーを着ます。
母は小柄だったので、そこそこ背がある私がそれを着ると、特に手首の丈が足りません。
変な格好ですが、誰に見せるでもないので気にせず作業に取り掛かると、手だけを動かしながら頭の中ではとりとめのない考えごとをしている自分に気付くことがあります。
考えているのは本当に何気ないことで、今夜なに食べようかなとか、次はこんな動画撮りたいなとか、スプラッター映画が観たいなとか。
そういう考えごとができる時間だから、草むしりが好きなのかもしれません。
首が疲れて顔をあげると、母が手入れをしていたころとは違って、色がなく、ガランとした庭。
私は今の庭もスッキリしていいと思っていますが、たまに、華やかだったころの庭を思い浮かべます。
季節ごとに花が咲いて、謎の実をつける木があって、虫が多くて。
その中に小さく腰をかがめる母は、変な色のウィンドブレーカーを着て、雑草の根についた土のにおいを嗅ぎながら、私と同じように考えごとをしながら手を動かしていたのだろうか。
疲れて顔をあげたときや、一区切りついて腰を伸ばしながら立ち上がったとき、目の前に広がる庭を見てなにを思ったのだろうか。
妙なところで自信過剰な母だったので、「さすが、私の作った庭」とニンマリしていたのではないか…と想像して、私もニンマリ。
本当は、母がどんな気持ちでなにを考えながら草をむしっていたのかなんてわかるはずもないのですが、心に思い浮かべる母には笑っていてほしいと思ってしまう、娘のワガママです。

いつも応援ありがとうございます。
コメント
一行一行にあさがおさんの優しさや愛情が伝わる話ですね
母の庭かぁ・゜・(つД`)・゜・
俺のお袋さんは庭にトマト西瓜玉蜀黍しし唐辛子ピーマンを作ってました
家が貧乏だったのでいま思うと家計の足しにしていたと思います
今ではマンションのベランダで薔薇を楽しんでいます
大きな花を咲かせると興奮して教えてくれるのが少しウザイけど可愛く感じるこの頃です
こんにちは。
実家の庭の雑草取り、お疲れ様でした。
庭のある家に憧れます。
私は花が好きなほうで、そんな庭があれば
いろんな花を咲かせてみたいです。
家の玄関脇に大きめの植木鉢に
チューリップの花芽がにょきにょきと顔を
出してきました。あと一週間くらいで、
花が咲きそうです。
あさがおさん、こんにちは!
(変な色のウインドブレーカー)に、ちょっと苦手だったおかあさんへの思いが込められていていいですね
変な色のウインドブレーカーこれからも大切にして下さい。